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「どこへいっても『掴み所のない奴』なんて言われた僕だけど、ここにきてやっと居場所を見つけたって感じ」
by me109fun
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Q & A その7 連合軍戦闘機

Q.私は特にP-51との対戦に興味があるのですが、そのお話をしてください。

A. そうですね、109にとってP-51は確かに良きライバルでしたよ。[両者とも]素晴らしい操縦性を持っていました。ただP-51のほうが長い時間それをやれたわけですが。(笑い)

でも7時間半も操縦席にいるなんてね。109では無理な話です。まずもっと快適な操縦席にしてもらわないと。それにしても彼らはイングランドから7時間半もかけて往復するんですからね。

このとおり、違った面もありましたが、いざ戦闘になると109はP-51にひけを取りませんでした。

スピットファイアでもそうですね。ただ急激な上昇旋回ではスピットファイアに追従できませんでしたね。ただし、その数は限られていました。また初期には急降下する際の、気化器の問題がありましてね。シュ・シュ・シュ(エンジンが停止しかける音)、なかなかスピードが乗らなかった。

要は、どの戦闘機にも、いずれかの状況においてなにがしかの問題を抱えていたわけです。相手のそういった特徴を押さえれば、打ち勝つことが可能になるわけです。




Q.  ラルさん、P-47の最高の攻略法はどんなものでしょう?

A. P-47の?撃墜すること。(笑いと拍手)

P-47は全ての飛行性能で脅威だったわけではありません。ただ、こちらが追跡される身になった場合、彼らの高い急降下速度と丈夫な機体構造は脅威でした。その面では太刀打ちできる相手じゃあるません。いくら急降下しても、向こうは着実に間を詰めてきます。しかしそれは、戦闘機としてはあまりにも重すぎでしたね。[以下原文未完成]

何年も後、アメリカのマクスウェルで「鷲の集会」が開かれ、あちこちからパイロットが集まりました。そこにはギャビー・ガブレスキも出席していました。ガブレスキはもう亡くなりましたが、アメリカ空軍のナンバーワンでした。

私はかつて経験したある空戦について講演したのですが、その空戦に彼も参加していたのです。それで「ちょっと待て。おれもそこにいたぞ」ということになりました。

当時第8航空軍には二つのP-47戦闘機グループがありました。ガブレスキが属していたのはその一つで、私たちの基地上空で私たちを待ち伏せることが彼らの任務でした。雲の上で戦闘し、燃料が尽きて降りてくる私たちを、彼らは狙うわけです。ギャビーたちはいくつかの基地を巡回しながら獲物を待つわけです。私たちの方は、弾薬も燃料も尽き、主脚を降ろした状況ですので一溜まりもありませんでした。アプローチ中の多くの戦友を失いました。

ハブ・ゼムケの率いる別のグループは上空で爆撃隊を援護していました。彼らは高度10000mで私たちと立ち向かっていました。

最終的には、戦後私たちは良い友人になりました。彼の子息は今もこう言ってくれます。(含み笑い)「ギュンターさんは家族の一員です。」とね。素晴らしいことです。
by me109fun | 2005-01-09 16:57 | ギュンター・ラル氏講演
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