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「どこへいっても『掴み所のない奴』なんて言われた僕だけど、ここにきてやっと居場所を見つけたって感じ」
by me109fun
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3. 英国の戦い

対仏戦後私たちは後方へ移動し、推測航法による洋上航法を訓練しました。 方位、時間、速度をもとにしたものです。 当時はそれが唯一の方法でした。 あの、速度計や人工水平儀、コンパスを使い、時間を測って行うものです。




そして、カレー付近のコキル[Coquilles]へ移動しました。そのころは、国家の上層部が英国侵攻を計画しているかなんて分かりませんでした。 そんなことは高尚な目的とは思えなかった。 大惨事になる事が目に見えていました。 攻める我々の方からは、イングランドは遠すぎる反面、守るイギリスには地の利があるわけですから。
当時の戦闘機の航続距離では、カレーからは、ロンドンまでたどり着くのが関の山です。そこに滞空できるのもせいぜい5分、すぐに戻らなければならない。 爆撃機が内陸深く攻撃する場合、ロンドンから先は援護なしで飛行しなければなりません。 それは悲惨な結果に終わるに決まっています。
今度の相手はハリケーンやスピットファイアですが、英国空軍のこれら戦闘機部隊は質的にも戦術的にも異なったものです。 彼らは間近に迫った脅威に対抗するため良質な迎撃機管理システムを作り上げていました。

我々、若く、訓練不足で、経験不足な戦闘機集団は、ユンカースJu-87を援護することになりました。 Ju-87はシュトゥーカとも呼ばれる、重く鈍足な急降下爆撃機で、爆弾を積むと更に遅くなります。 私たちはそのJu-87にぴったりくっついて援護するよう命令を受けました。 本来の速度優位を捨て、鈍足のJu-87に合わせて飛行するよう命令されたのです。 そして英仏海峡で、高い高度で待ちかまえていたスピットファイアに襲われました。 これで中隊長や飛行団司令以下、多くの操縦士を失いました。 それで私は、確か22歳でしたが、思いがけなく第8中隊の指揮をとることになりました。

この時以来私は、戦闘機操縦士は空中で自由に行動すべき、という信念を持ちました。そういうことは戦闘機操縦士自身が決めるべきなのです。 空中でいかに戦うかは、全て操縦士次第なのです。 地上から、「君はまずそこに向かい、それからどうする~」などと命令できるものではありません。 状況は刻一刻と変わるもので、そこでとるべき位置を読みとれるのは選ばれた戦闘機操縦士だけであり、そして、いかに攻撃するかは経験の問題です。 英仏海峡での出来事は、苦いものながら良い教訓になりました。
by me109fun | 2004-07-18 14:34 | ギュンター・ラル氏講演
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