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「どこへいっても『掴み所のない奴』なんて言われた僕だけど、ここにきてやっと居場所を見つけたって感じ」
by me109fun
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4. バルカン・クレタ・109F

それからしばらくたって私たちは後退し、新しい操縦士と戦闘機の補充を受け、オーストリアのNeusiedl am Seeへ移動しました。一週間待つうちに、ルーマニア行きの命令を受けました。ルーマニアにはカルパチア山脈に油田があり、そこの石油施設を防衛する必要があったのです。コンスタンツァはルーマニアでも重要な大きな石油積み出し港で、ドナウ川を渡りブルガリアへ侵攻するには重要な橋梁もありました。当時はもう、ブルガリアを経てギリシャへ侵攻する計画がありました。イタリア軍はギリシャ侵攻にかなり手こずっており、彼らは手助けを求めていましたから。




この間、私たちは、同じ109を装備するルーマニア戦闘機操縦士の訓練も行いました。長い期間ではありませんでしたが。

クレタ島をめぐりギリシャ侵攻戦が始まりました。私たちはアテネへ移動し、ついでペロポンネソス南端の小村モラオイへ移動しました。
そしてクレタ攻防戦が始まりました。それはぞっとするものでした。最初の侵攻部隊は空挺部隊と山岳部隊でした。船と飛行機で、クレタ防衛隊のニュージーランド兵に襲いかかりました。空挺部隊の降下高度が、800メートルと高すぎ滞空時間が長くなったため、その多くが空中で射撃の的になりました。士官達が全滅したため、軍医が指揮を執ることさえあったと聞きますね。

滑走路はマルメーズにありました。我々はそこへ向かいましたが、大規模な航空戦はなく、対地攻撃が主でした。ドイツ軍部隊への補給が問題でした。武器と弾薬をコンテナに詰め落とすわけです。地上軍は鍵十字の旗を目印にするのですが、それを知って、同じように鍵十字の旗を振るニュージーランド兵にも落としてしまうのです。高度3、40メートルを高速で飛行していたら兵の区別なんかできません。これは大問題でしたがその後解決しました。きわどい局面もありましたが、ついにクレタは我々の手中に落ちました。

クレタ戦終了後、我々はルーマニアに戻り、そこで新しい型の戦闘機を受け取りました。109Fです。これは私の最愛の航空機でした。丸い主翼端をもった最初の型で、水平尾翼の支柱はなく、DB601エンジンは優秀でしたが、あまり無理な使い方はできませんでした。その後の型では、これを足し、あれを足し、というふうになり、随分機が重くなったのですが、この時はそうではありませんでした。F型は理想の戦闘機でした。
武装も優秀でした。プロペラを通して発射する20ミリ機関砲一門、エンジンの上の7.92ミリ機関銃2丁、これだけあれば充分でした。
by me109fun | 2004-07-18 14:37 | ギュンター・ラル氏講演
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